takeさんのnikki ~"S”さん日記~

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受験シーズンになると必ず思いだす友人の話 |新聞配達に付き合った際、マンションからみた朝焼けが綺麗に思えた....

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川崎富士見球技場(かわさきふじみきゅうぎじょう)は、日本の神奈川県川崎市川崎区にある球技場。命名権を富士通が取得したことにより、2015年4月より富士通スタジアム川崎(ふじつうスタジアムかわさき、略称:富士通スタ)と呼称される。

1952年に開場し、プロ野球の大洋ホエールズやロッテオリオンズなどが本拠とした野球場の川崎球場を前身とする。2000年のスタンド撤去以降はアメリカンフットボールや軟式野球等での利用が主となり、2014年から現在の名称に変更された。施設は川崎市が所有し、東急コミュニティーと川崎フロンターレが指定管理者として運営管理を行っている。

川崎富士見球技場 - Wikipedia

昭和プロ野球「球場」大全

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受験シーズンになると必ず思いだす、中学時代の友人の話....

中学時代ともにした部活動の友人

 中学時代からの友人で、同じ部活動でともに汗を流していた仲間がいた。

 その友人には両親がおらず、兄とともに親戚のもとに間借りして過ごしていたようだった。その兄とは面識は無かったが、町工場の何部屋かで生活していた。

 ただ、そういった状況下にあるにもかかわらず、勉強はできるようだった。

 飲み込みも速いようだったし、たしかに成績も良いのだが、小柄で色黒なことも理由だったかは分からないが、からかわれていたように思う。ただ、頭が良かった。

 また、そのような状況下でも、特に不平不満を言っている様な記憶もなければ、言い訳をしている事もなかった。

 粘り強く物事に向き合う人だったのか。

 兄とともに物事に打ち込み、必死に戦っていたのだろうと思う。

 町工場の何部屋かを間借りしていたので、自由に行き来は出来たようだ。泊りがけで遊びに行ったこともあったし、徹夜で麻雀を打ったこともあった。みなでいかがわしい本や、漫画や雑誌を回し読みしたこともあった。

新聞配達のバイトをしながらだったのか....

 その友人の部屋を見渡すと、これといって、勉強をするための机や参考書があったわけでも無い。また、努力をしているそぶりも見せなかった。

 “がり勉”タイプではなかったようだ。特にするわけでも無く“デキタ”ということか。

 ただ、暮らしぶりは貧しかったように思う。

 高校に進学とともにバイトをしていたのだろうか。カネを稼ぎ、合間をみつけて勉学に励んだということか。兄とふたり必死だったのだろう。

 家庭の事情を聞くことは無かった。自分が幼かったというのもあるのだが、そこまで気が回らなかったのだ。ただ、そういった話を聞くことはなかったが、新聞配達のバイトを何度か付き合ったことがあった。

追記:19/7/13   

 "川崎富士見球技場”の名の一部、"富士見”に何かひかれるものがあった。

 どういう事かというと、幼少期、綱島の西口にある、富士見幼稚園というところに通っていました。

 当時のことを思い出すことがあり、情景がイメージとして浮かぶ。たとえば、園内がどうだったか、とか、建物の構造がどうとか、ある程度説明できるほど、覚えているようだ。

 一つとしてあげるとするなら、皆がお遊戯をする広間にピアノが設置されており、目を上にやると、はく製が気になった。よく見てみると、烏のはく製。

 烏のはく製は、珍しいことだとは思うが、大人になってみると、どういうことか理解できるようになる。

 

 何人かを誘い、その町工場に集い楽しく過ごせた

 中学時代から、夜に突然電話がかかってきて、遊びに誘われることも度々あった。寂しかったのだろう、同じ部活仲間とともに、夜中まで遊んだこともあった。

 寂しさを紛らわすためか、夜に電話がかかってくることが多かったように記憶している。何人かを誘い、その町工場に集った。内容は詳しく思い出せないので、やめておくが、アレヤコレヤと話した。楽しかった。

 その友人も、寂しくつらい思いがあったのだろう。苦しい時期が長く続いたのだろう。ただ、仲間と過ごしていた時間は楽しそうだった。

追記①

先日、町工場があった場所に向かった。大倉山にある熊野神社に寄ってから、その足で向かったが、更地になっていた。少し、落ち込んだが、気を取り直し、二ツ池、三ツ池公園に寄ることにした。

 最後に会ったのは、新聞配達のバイトを付き合った日....

 高校に進学とともに、付き合うことが減ったように思うが、麻雀もたまに打ったし、カラオケにも行ったか。中学時代同様、夜に電話がかかってくることが多かったが、以前のように付き合うことは少なくなった。

 最後に会ったのは、新聞配達のバイトを付き合った日だったか。夜遅くまで遊んでから、そのまま付き合った。

 マンションからみた朝焼けが綺麗に思えた....

 

良いイメージを持つことが出来なくなったのなら....

 苦学の末、大学に進学したようだ。新聞配達のバイトも続けていた。

 大倉山のワンルームマンションで1人暮らしをしていた“ゴムボール野球”の友人からラーメン屋で聞かされた。高校時代から行きつけにしていたラーメン屋で聞かされたのだ。

 その友人はバイクの事故で亡くなったと...

 受験シーズンになると、真っ先にその友人のことを思い出す....

 こういった事が重なり、新聞に対して良いイメージを持つことが出来なくなってしまう。もちろん、極端な考え方をしていることも理解していた。やはり、頑固なところもあり、意地っ張りなのだ。

 新聞が嫌いになってしまった。