takeさんのnikki ~"K2”さん日記~

ダイバーシティを追求 ネットと紙媒体に舵を切る 14が好き 東京は嫌いだが江戸は好き(*‘ω‘ *)

縦軸は歴史、それは人なら成長の過程。馬でも猫でも犬でも同様にそうなのだ 

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代弁することの重要性。人も競走馬も同じも

そこに何かをみることで代弁すること出来る

 睡眠も十分にとることができ、何時もより頭の中がクリアなような気がします。寝起きはボケーとしていて不安だったのですが、杞憂に終わりました。

 日記1の方で書いた内容の続きになります。“代弁”の話になります。

 「競走馬になにかを見る」という話でありましたが、“なにか”のところに“人の心”を見る。そこに当てはめる。重ねる。そのことで代弁することができる。

 たとえば、パドックなどで、“テンションが高く、ちゃかちゃか歩いている”だったとするなら、デビュー戦だし、“緊張し興奮して、集中できていない”なのか。そうではなく、気合も入り、“レースが待ちどおしくて仕方ない。集中している”なのか...

 たしかに、その馬自身にしか本当の気持ちは分からないが、レース結果と比較することで、競走馬の心に近づけることが出来るはず。

 好結果だったなら、“レースが待ちどおしくて仕方ない。集中している”だったのだし、結果がマズかったなら、前者。

縦軸は歴史。横軸なら、出走したそのレース

 一頭を縦軸で見ることにより、前走と今回のレースでのバドック状態とレース結果の比較から、その競走馬にとって、パドックでの状態とレース結果の関連性が見えてくるはず。

 それを何レースも繰り返し確認することで、その競走馬自身の心に近づくことが出来る。たとえば、引退まで20戦のレースに出走したとするなら、その都度パドック状態も違う。もちろん、気性が大人にもなる場合もあるし、逆もまたある。

 怪我をすることあれば、しっかり成長してゆき、雄大な馬体になる馬もいる。血統面なども加味する必要もあるが、20戦の中でのパドック状態の比較が無駄ということはない。

 縦軸で比較することで、気性面も含めての成長度合いが把握できる。縦軸、つまり、その馬の歴史。横軸なら、出走したそのレース。

しっかりした文化を持っていないから

人間に置き換えるとするなら....

 では、人間に置き換えるとするなら、縦軸、そのひとの歴史。横軸、その都度属した組織の人間関係と時代背景。

 競馬ひとつとっても侮ることはできない。ギャンブルだからマズいと、決めつけてしまうのも勿体ないことのようにも感じる。携わるのは人なのだから、心がないはずがない。心のない人がギャンブルと決めつけて、心を見ようとしないだけだ。

 文化的でない人間となるが。どうなのか。

心をそこに見ることが出来ないから問題が起きる 

 心を持っていないから、馬は馬としか考えられないし、ギャンブルのために存在しているとしか考えられない。馬も犬や猫にも、心を見ることも出来なければ、人にすら見ることが出来なくなる。

 心がないから、モノを発することが出来ないものに無礼を働きつづける。人の心をそこに重ねることを出来ない人間そのものが、あらゆるところで問題を起こす。

時間と空間の秩序を乱すこと思いとどまれる

 縦軸と横軸、時間と空間。宇宙。そこに心を見ることができるから人間であれる。間に心を見るから。歴史に心や文化を見ることができるから人間なのだ。

 縦軸、歴史。人なら成長の過程。馬でも猫でも犬でもそうだ。そこに何かをみるから、一線を越えることを踏みとどまれる。良くないことは良くないと、止めることが出出来る。

 歴史があるから、心があるから、文化があるから。

 時間と空間の秩序を乱すことを咎めることができる。思いとどまれるのだ。