takeさんのnikki ~"S”さん日記~

"通信、紙媒体、J-ROCKの三位一体でこそ” ヤタガラス、ライオン、ユニコーンのトリニティを内包(*‘ω‘ *)

トラックの煽り運転を“反面教師”“四つ葉のクローバー”“浅草寺のおみくじ”から考える事は出来ないか

f:id:ktake0606:20190416074244j:plain

浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草にある東京都内最古の寺である。山号は金龍山。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。

元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に収まっている。

浅草寺 - Wikipedia

小学校2年生の頃の遠足でのお話

いわゆる“四つ葉のクローバーは、2つの可能性がある”事件

 初見の方向けに、簡単に説明します。(詳しくは下記リンク)

 小学校2年生の頃の遠足。

 友人と“四つ葉のクローバー”を探す。自分が先にみつけ、友人に報告。

 曰く“四つ葉のクローバーは、2つの可能性がある”のだそう。その2つとは「良いこと」か「悪いこと」

その2つとは「良いこと」か「悪いこと」

 「なんて嫌なことを言うやつなんだ、先に自分が見つけたのに」

 「自分が先に見つけたことが面白くなかったに違いない」

 「だからそう言う事をいうのだ!」

 と、内心思いつつも、いつも通りの対応。

 遠足を終える。

遠足での四つ葉のクローバーの話"油断するなという事”

 後日、約束どおり、友人宅へ遊びに行く。

 その当時猫を飼っており、自転車の前かごに入れて連れていく。

 今考えると危険。何か起こって当たり前。

 ただ、子ども。

 友人宅で猫と過ごし帰る。

 自宅前まで何とか帰ってくることが出来たのだが、緊張が解けたか、飼い猫が前かごから飛び降り、運悪く向こうから来たトラックの後ろタイヤに巻き込まれてしまう.....

 「四つ葉のクローバー」の話を思い出し、夜中まで泣いていた。

 遠足でその子が言っていたことは、こういう事なのかと、悲しくなった。

 後日、工事現場の方が、新しい子ネコを連れてきてくれたのだが、“いらない”と断った。

 

100万分の1回のねこ (講談社文庫)

100万分の1回のねこ (講談社文庫)

  • 作者: 江國香織,岩瀬成子,くどうなおこ,井上荒野,角田光代,町田康,今江祥智,唯野未歩子,山田詠美,綿矢りさ,川上弘美,広瀬弦,谷川俊太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/12/14
  • メディア: 文庫
  • この商品を含むブログを見る

1995年に普通運転免許証を取得

第一京浜を品川の方へと向かわせたが....

 運転免許証を取得も、いうほど運転はしなかった。

 1996年だったか。

 すこしイライラすることがあり、深夜に中原街道を横浜方面へと走らせた。

 あてもなく、すぐさま飽きてしまったので、第一京浜を品川の方へと向かわせる。

 そこは、免許取って1,2年。ちんたら走ってたと言えばそう。時間も良くない。深夜帯。

煽られてると言えば煽られているが

 トラックがビュンビュン飛ばしている。

 "おっかない”

 天然と言えば、天然。

 煽られてると言えば煽られているし、煽られていないと言えば煽られていない。

 "ただ、おっかねーなと...”

 そこは生粋のビビり。以降、運転することを控えてしまう。

 

地図で読む昭和の日本: 定点観測でたどる街の風景

地図で読む昭和の日本: 定点観測でたどる街の風景

いわゆる“煽り運転”とするのは、本人のとらえ方次第か

"トラックの煽り運転”をどう捉えられるかにかかっている

 トラックの煽り運転を、どうとらえるかにかかっている。

 “反面教師”ともいえるし、冒頭の“四つ葉のクローバー”の話とも言える。また、“浅草寺のおみくじの話”でもある。

 “トラックの煽り運転”を、そのまま捉えることをすると、

 “驚き、ハンドルを切り間違えかねない”と、怒るべきだし、

 そうではなく、“反面教師”といったプラスに反映させる作業をするのだとすると、

 “煽り運転”自体は危険だが、"トラックのドライバーも同様に危険なのだ”と考えられるか否か。

"トラックのドライバーも同様に危険なのだ”と考えられるか否か

 深夜帯に、睡眠時間を削り、急いで荷物運ぶさなか、目の前を初心者マークにチョロチョロされたのだとすると、目障りと感じるのも理解できる。

 互いに危険なのだから、 

 “仕方がない”

 と考えることが出来るのか。

 相手ばかりに文句を言うのではなく、自分に落ち度は無かったのか、と考えられるのか、という話。

浅草寺のおみくじのように、“凶”を文字通りではなく

 “煽り運転”をされたのだとして、文字通り“煽り運転”と捉えてしまうのか、それとも、浅草寺のおみくじのように、“凶”(30%の確率。相当高いらしい)を文字通りではなく、“結果”は悪く出てしまったが、今後に活かせるのか否か。

 “悪い結果”を、そのまま受け止めるのではなく、より良いものに変えられるのか。

 また、そういった考え方ができるのかにかかっている。

 

司馬遼太郎と寺社を歩く (光文社文庫)

司馬遼太郎と寺社を歩く (光文社文庫)