#1kikunaさんのnikki ~“kikuna9”さん日記~

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素直に良いものを良いと感じる心が必要そう |“ハナちょうちん”と桜のお話

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“良いものは良い” “悪いものは悪い”と素直に思う心のこと

自衛隊中央病院に向かう最中、考えたこと....

 実家の近くにある、自衛隊中央病院に向かう道すがら、考え事をしていた。

 “そう言えば、あいつも鼻が悪かったな”と思い返した。片方(右か左か?)が常につまっているそうで、口呼吸になりやすいのだとか(?)。

 たとえば、感動的な映画などで、悲しくなり涙していると、鼻水が真っすぐ糸を引くように、“ツー”と落っこちてしまう。また、“ハナちょうちん”をつくることも出来る。

 それも、睡眠時だけではなく、まれに、起きている時にでもつくることが出来るのだ。

 

ハナちょうちんに感動と驚き“ふくらまして、はじけてるぞ!”

 驚きがあった。“ハナちょうちん”を漫画やアニメなどではなく、現実につくることをする奴がいたのかと。生まれ始めて、ハナちょうちんをみた。

 素直に驚きと感動があった。

 “すごい!” “これは、すごいぞ!”

 “ふくらまして、はじけてるぞ!”と.....

 なんて思い返してると、前回の通院時に、写真を撮影した通りを横切ることに気づく。

 “桜がきれいだ”

 前回と違う。綺麗になっている。思わず写真に収めました。

 

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追記:19/7/21   

 以前から、気になっていた『アップルパイの専門店 GRANNY SMITH』にお邪魔して来ました。店内はこじんまりしているものの、内装が可愛らしい感じになっていました。

 『ダッチクランブル』『クラシックラムレーズン』『フレンチダマンド』『イングランドカスタード』の計4品を購入してきました。

GRANNY SMITH   

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家で開けてみた(*‘ω‘ *)

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日々変化していると感じる、実感としてある   

 冒頭の桜の写真は、実家から下馬五丁目交差点に出て、世田谷公園方面に右折し、鮫洲大山線をしばらく歩くと右手に見える。

 そのまま、道なりに歩いて行けば、うっそうとした緑が右手に見える。世田谷公園。

 公園にわき道を挟んだが反対側に、『アップルパイの専門店 GRANNY SMITH』があります。

 道中、東急バス下馬営業所が右手に見えてくるが、以前、上京したてのころ、目黒区下目黒というところで暮らしており、最寄りのバス停が、「清水」というところだった。

 そのバス停を目黒通りを挟み、反対側に、東急バス目黒営業所があった。

 最近、散歩がてら、目黒通りや、その近辺を見てまわることがあるのだが、様変わりしており、驚きがある。10数年で、街も変化していくのだな、しみじみと感じてしまった。もちろん、人も変わる。それこそ、1年でも変わる。

 日々変化していると感じる。もちろん、理屈では分かっていたが、実感としてあるのだ。

数学の天才が多数輩出されるというインドの村

周辺の村と比べても、田園風景が抜けて綺麗だったのだとか

 以前、何かの本で読んだお話なのです。

 数学の天才(?)が多数輩出される村がインドにあるのだとか。

 偏ってその村から輩出されることから、調査に向かったのだそう。すると、どうだったのかというと、その村は田園風景が綺麗だったのだそうで、周辺の村と比べても、抜けていたのだとか。

 数学というと、“風景が綺麗”ということと一見、関連性がなさそうに思える。

 ただ、“綺麗なものを綺麗だ”と素直に思う心を日々養うことをしていたからか、と個人的には考えている。“良いものは良い” “悪いものは悪い”と素直に思う心。

 できる限り他者に影響されることなく、繰り返し行っていくことで、モノを見る力もそうなら、素直にものごとを判断する力も養われるのではないか。

 自然と身についていくのではないかと、当時、その本を読んだときに考えていました(*‘ω‘ *)

 

国家と教養 (新潮新書)

国家と教養 (新潮新書)

藤原 正彦(ふじわら まさひこ、昭和18年(1943年)7月9日 - )は、日本の数学者。お茶の水女子大学名誉教授。専門は数論で、特に不定方程式論。エッセイストしても知られる。

妻は、お茶の水女子大学で発達心理学を専攻し、カウンセラー、心理学講師そして翻訳家として活動する藤原美子。気象学者の藤原咲平は大伯父(父方祖父の兄)、美容家のメイ牛山は遠縁(父方祖父の姉の子の妻)に当たる。

藤原正彦 - Wikipedia

じい様が編んでくれた、“風林火山"が想いだされる....

 北海道根室市に父の実家がありました。

 何度か訪れた事があり、良くしてくれた記憶があります。小2の頃、ひとりで根室に向かったことがあり、羽田空港から飛行機に乗り、釧路空港で親戚の方がむかえに来てくれ。釧路から根室まで、片道一時間以上かけて向かう。そんな感じで父の実家に一週間くらいお世話になったこともありました。

 父から聞かされていた印象とは違い、優しく接してくれたことを想いだされます。

 父同様、手先が器用なところがあったのか、手編みのセーターを編んでくれたこともありました。“風林火山"とセーターには編み込まれており、印象深く記憶にとどめています。

 藤原正彦さんのお父さんに、歴史小説『武田信玄』で知られる、新田次郎さんがおり気象庁観測部に従事していた事でも知られています。

 

『武田信玄』(たけだしんげん)は、新田次郎の歴史小説。『歴史読本』に1965年5月号から1973年9月号まで連載された。「風の巻」「林の巻」「火の巻」「山の巻」の4巻からなる。

第8回吉川英治文学賞受賞作である。「風の巻」「林の巻」は1969年8月、「火の巻」は1971年7月、「山の巻」は1973年11月、それぞれ文藝春秋より刊行された。

武田信玄 (小説) - Wikipedia

新装版 武田信玄 風の巻 (文春文庫)

新装版 武田信玄 風の巻 (文春文庫)

昨年7月以降の自分自身の変化にも似ているか

  “何か”を知ろうとするとき、そのものごとだけを知ろうとするのではなく、それとは、また他のことを知る作業を続けることで、もともとのその何かを、より知ることが出来るのではないのか。

 ひとつのことではなく、多数のことを幅広く知る作業を続けるから、もともとのその何を、より多面的に見ることが出来るし、そのことで、良し悪しをしっかり捉えることが出来るはず。

 近視眼的にならず、捉えることが出来るのではないのか。

 数学とはなんら関係もなさそうな、“風景が綺麗”というところに、関連性があったりして面白く感じる。

 個人的な話をするなら、昨年7月以降の自分自身の変化にも似ているか。

 "喜怒哀楽”を出すことを繰り返しおこなう。

 素直にものごとを捉える作業を繰り返すことで、結果、人と向き合うことの大切さが、実感できた。

小さい頃から派手なものを好むのは良くないのでは

 昆虫採集などするも良いこと、そういった言い方をする人もいた。派手なものを好むことを、小さい頃からするのは良くない事ととらえており、小さな虫や、自然の中にある生き物や、花々、樹々から何かを感じられる心を日々の生活の中で心や情緒というものが養われるはず。

 自分にあるものしか見ることが出来ないことから、幼少の頃から、日々養う必要がある。派手なものを好むでなく、日々養い続けてきたからこそ、対象にも同様のものを見ることが出来る

ノーベル賞受賞者も東京からは一人しか輩出されていない

 都会という環境で、子育てすることに、個人的には否定的だ。ノーベル賞受賞者も東京からは一人しか輩出されていない理由も、“数学の天才が多数輩出されるというインドの村”の話で説明できそうな気もするし、心や情を育むのも、やはり、都会では難しそうに映る。

 これも、個人的な意見だが、日本を東西で見てしまうと、西の人の方が情緒豊かに感じられ、好みでもある。

 これらの点で、東が合わなかったことが、周りとの不和に繋がっていたようにも感じられる。物理的な東西なら、西に見てしまう。源平なら平家になってしまうようだ。

 もちろん、そうなのだけれども、日本はもういい。東西南北などどうでも良い。そんな事よりも落ち着いて過ごしたいし、そういった日々の中から、情緒も育むことが出来るはず。

 表現も良いものに変化されると考えている。