#1kikunaさんのnikki ~“kikuna9”さん日記~

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映画『この世界の片隅に』雑感 |自分自身の中にあった殻が壊せた、素直に人と向き合うことにしようと思えた

2018年を振り返る....“なにが大切だったのか”

時期的にも孤立無援状態になりやすく、配慮がうれしい

 2018年2月、右ひじから先が、全く機能しない状態になっていた。そのころ、身のまわりにも変化がみられ、ひとまず、そいつは実家に帰ることになる。 

 近くの大学病院に受診し、ギブスをつくってもらうことにした。理学療法士のかたが丁寧にマジックテープの4角を丸く切り取ってくれた。角が当たって痛くない様にとの配慮か。

 時期的にも、ひとりになりやすくなっていたため、心細くこういった心配りが嬉しい。

 “孤立無援状態”になった事により、そこで、ようやくスイッチが入った。本気度が上がった。

 “外へものをしっかり述べていくこと、また、行動を起こしていくことを積極的に行うしかない”、そう考えた。ようやく、戦おうと想えた。

 

理学療法士(りがくりょうほうし、英: physical therapist または physiotherapist、略してPT)は、理学療法士及び作業療法士法に基づく国家資格であり、リハビリテーションチームを構成する医療従事者(コ・メディカルスタッフ)の一員である。

理学療法士 - Wikipedia

右腕が機能不全に陥っており、生活全般がままならない

 去年の今頃は、失意のもとにありました。

 右腕が機能不全に陥っており、生活全般がままならない。すべて左手ひとつで行わなければならなかった。

 非常に面倒くさい。食事をとるにせよ、歯を磨くにせよ、とにかく面倒。当たり前と思っていたことが、出来なくなること、それが、どれほど不自由な事かと考えるようになっていた。ひとりで生活せざるを得ない時期と重なり、心細くもあった。

 同時に考える時間も増えた。これが、実に良かった。以前では、なかったようなことが、考えられたり、思うことも出来た。ここ十数年のことを振り返ることもした。

 振り返ることで、今まで疎かにしていたことに気づけた。

 “なにが大切だったのか”

 そんな3月だったかと思います。

 

解説①

右腕が使えない事。それは、何もできないに等しい。今まで当たり前に出来ていたことが、ある日を境に出来なくなる。それは、"何もできない”のとそう変わらない。

そいつのことも考えた。その日までは元気に走り回ることも出来た。ただ、突然できなくなった。それは、"何もできない”のと同じだ。事実、寝たきりが続いた。辛そうな顔を見るのは、自分もつらかったので、毎日通った。正確には1日休んだが。

右腕が機能不全に陥ったが、意外と心は不自由を感じることは無かった。そいつの姿を見てきたからだ。そいつも、明るく振舞おうとしていたからだ。

自分もそいつに右腕のことで当たった事は無かった。

解説②

父はガンにおかされ、手術を何度も受けた。現状、病床にありリハビリと実家のベットを行き来する日々が続いている。

たしかに、口下手で不器用。口を開くとキツイことを言う。そのことで傷ついたのも本当だが、優しい人なのも知っている。ただ、致命的に口がヘタ。その為に誤解をされやすいのだろう。

父は入院中でも、実家で寝たきり状態にある中でも、愚痴ったり、八つ当たりをするようなところも無かった。実家に帰ったときにも、やはり、目にしたことは無い。むしろ、自分がうるさい事で迷惑をかけている位だ。その点も申し訳なく思うから、独立する以外にないと、そう強く思わせている。

右手も動かない...“ネットばかりしていても仕方がないな”

 ひとりで過ごしていると実に暇。右手も動かない。ネットばかりしていても仕方がない。映画を観ることにした。

 『この世界の片隅に』を観た。主人公のすずに、似たものを感じた。

 自分も、しっかり人と向き合っていこうと思い、外に出ていこうと考えて始めていた。

 そんな6月転機が。

 人と接する場に積極的に出ていこうと考え、“とあるところ”に通い始めた。

 そこにも様々な人がおり、悩みも多種多様。そこで話すことにより、“やっぱり、いろんな奴がいるな”と素直に思った。もちろん、碌でもないやつもいる。が、やはり、そこで過ごした時間が無駄になっているとは思わない。

 自分自身の中にあった殻が壊れた気がした。

 “吹っ切れた”という事なのだろう。ただ、“吹っ切れた”のは良いが、問題視される。辞めることとなった。

 

考えがまとまり易くなり、記憶が引き出しやすくなるも

 考える時間が増えた。

 “吹っ切れた”ことが幸いしたか、考えがまとまり易くなり、記憶が引き出しやすくなる。また、頭と口が連動しやすくなった。

 反面、多動になり、聴覚過敏も発症してしまった。

 寒い時期も重なり、家で過ごす時間が増えた。自然と考える時間も増える。 

 次から次へと、記憶が思いだされてしまう。そのことで、後悔することが増えていってしまった。嫌なイメージしか浮かばない。取り戻そうとムキなるも自滅。

 悪いイメージを良いものにとしようとするもまた自滅。

 すべて失う。

 

“なにが大切だったのか” 自然と答えは出た...

 すべて失ったときにみつかる。

 “なにが大切だったのか”

 この45年すべて失ったのだとして、なにが一番大切で、なぜ去年、右腕が動かなくなるくらいムキになって物事に向かい合っていたのか。

 自然と答えは出た...

 

解説③

すこし、"ボケー”としているところが、幼少の頃からあったのだろうと思う。"天然”

いまだに、抜けていないところがあるし、母に関しても同様にある。頭の良し悪しは置いておくとしても、やはり、同じだ。似ている。ただ、実家で過ごすのは難しいのも、本音だ。そのことも母に伝えてある。喧嘩をしてまで、実家に居続けるのも混乱を生むだけだし、自分の良い部分がなくなる。それも、理解はしてもらえているはずだ。その点も再三再四、伝えているので、問題はない。あとは自分の適性。また、なにが心に無理がないか。心を不自由にしないか。

心に重きを置くのは文化のため。

配慮は重ねている。実家へもそうなら、すべて、そのはずだ。"ようやく、自分のことが話せた”というのは、そのあらわれ。自分のなりに配慮を重ねてきた、あらわれ。

映画『この世界の片隅に』の劇中にもあるように、右手が使えないようになってから、すずは、本音を言うようになる。想いを外に向けるようになる。おもいのたけをしっかり述べるようになってから、人間らしさを取り戻したように見えた。

映画『この世界の片隅に』雑感

あらゆる心情を吐露するようになり、見つけられた

 どこか、現実味がなく、夢の中で生きているかのように見えた。時代背景をかんがえても、"ぼんやり”しているように見えるし、ひとり浮いている。

 絵を描くことで、居場所を見つけられていたのか。

 戦況の悪化につれ、日に日に物資も減り、好きな絵も描きづらくなる。

 劇中、右腕を失うことで、居場所も失う。外に向かうしかなくなる。そこでようやく、あらゆる心情を吐露するようになる。内から外へ。

 人がもののように壊れていく。"国体”が破壊されたという事か。

 戦争も終わり、見失う。右腕もない。好きな絵も描けない。あらゆる想いが、内から外へ向かようになる。必死になったのだろうか。そういった中で、ようやく見つけられたという事になるのだろう。

 

 『この世界の片隅に』(このせかいのかたすみに)は、こうの史代の同名漫画を原作とする、片渕須直監督・脚本、MAPPA制作の長編アニメーション映画。

2016年公開。昭和19年(1944年)に広島市江波から呉に18歳で嫁いだ主人公すずが、戦時下の困難の中にあっても工夫を凝らして豊かに生きる姿を描く。

この世界の片隅に (映画) - Wikipedia

この世界の片隅に

この世界の片隅に